広い空の片隅で。

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劇場版「鬼滅の刃」無限列車編 感想と考察

 

とりあえず書きなぐりたい。ネタはバレバレのバレです。見てない人は見ないでね。わたしは原作未読、アニメ視聴者です。

 

 

■物語

 

良いお話だった。本当に。

 

ただひたすらに現実と向き合う15歳の男の子の物語。理由も分からぬまま家族を殺されたあとも、脇目も振らず真っ直ぐ進んできた炭治郎。わたしは炭治郎みたいな人間ではないから、その小さな身体で何でここまでできるのか理解できない。妹を人間に戻すため、自分の身体を痛めつけてここまで進んできた姿は、なんというか、健気で哀しい。

 

そんな炭治郎の心を苦しみの底まで落とすような下限の壱の鬼・魘夢の仕打ち。家族が生きている夢。一緒に暮らしている夢。夢だと気づいたときの「起きたくない」「こっちが現実だったら良いのに」「家族の方へ振り向きたい」と思う炭治郎の姿に、胸が引きちぎれるような気持ちになった。それでも君はあの辛い現実に戻るのか、と。泣いた。

そして戻るための手段が自決。やだもうしんどい。

 

一方で、目が覚めてからの炭治郎には驚いた。何度もかけられる魘夢の術に自決を繰り返して醒めるなんて、簡単な解だけど内容はえぐい。やばい。怖い。そんな直後に、家族を弄ばれた怒りを原動力に敵の首を落とす。あまりにもあっさりな鬼の終焉でびっくりしたが、そういや彼らは蝶屋敷で療養に加えて修行してたんだったな…とアニメを思い返した。

 

まあ実際のところ鬼はまだ生きていたわけだけど、その後に他の仲間たちも夢から醒めて(善逸以外はどうして目が覚めたのか不明なのが残念。そして紐で繋がっていた4人の人間は赦されたんだろうか。魘夢が殺しそうなものだけれど。その辺不明瞭で勿体ない。)本腰入れた戦いへ。

思っていた以上に禰豆子と善逸が取り上げられなかったのはその必要がなかったからなのかは分からないけれど、正直また兄妹の絆が濃く描かれると思ってたから、戦いの中ではあまり取り上げられなかったのが意外。

その分、伊之助と炭治郎の連携がみっちりだったのにもびっくりした。今回は伊之助の仲間を想う気持ちが強くなっている姿に感動。炭治郎と、お互い守り守られるシーンはグッときたし、現実で自決しそうになる炭治郎の手を必死に握るところなんてたまらん。

 

そして、煉獄さんのシーンへ。

煉獄さんはアニメ時は目ぇギンギラであんまり印象良くなかったけれど、炭治郎たちに柱としての自身の在り方を押しつけることなくでも見せつけていて、すべてのシーンでただひたすら「かっこよかった」。

夢から醒めてからの現状把握と適切な指示、5両を独りで守る強さ(ここ見たかったんだけど!もっと見たかったんだけど!!!)、腹を痛めた炭治郎に呼吸を指導する姿。超理想的上司。

 

そして最後の戦い。

今まで見てきたどの戦いよりも正義をストレートに貫く揺らぎない戦いだった。

猗窩座に何度もしつこいほど誘われるシーンを見ながら「絶対寝返るわけがない」と「頼むから寝返ると言わないで」を天秤にかけたことを土下座して謝りたい。煉獄さんの精神は正義にのみ手向けられていて、最期までその信念を守り続けた(というよりも鬼になるなんて選択肢にも入ってない)その姿に全身が震えていた。

悔しすぎる、結果になったけれど。

 

「お前らはズルい、逃げるのか、卑怯者!煉獄さんのほうがすごいんだ、強いんだ、守り抜いた、だから煉獄さんの勝ちだ!」って涙ボロボロ流しながら上限の鬼に吐きぶつける炭治郎を見て煉獄さんは何を思ったんだろう。

最期の言葉を炭治郎に託したことには、たくさんの意味が込められているような気がする。

そして、最期に見た鬼殺隊の隊士が彼ら3人だということが、煉獄さんの安眠につながっていることを願っている。

 

最後に涙する3人を見て、煉獄さんの生き様を肌で感じた彼らはきっと色んな人の思いを背負ってこれからもっと強くなるんじゃないかと感じた。

と同時に、彼らがこの世から去る理由が「鬼に殺されたこと」にならないよう、柱にならなくてもいいんだから、どうか、早くこんな戦い終わってしまえ、とも思った。

 

早く続きが!見たい!!!!(マンガ買いてぇ)

 

 

 

■映像美

 

夢の中のシーン、4人4様。ウユニ塩湖のような対比の蒼、逆に色のない暗闇、野性味ある洞窟、傷の中に燃える炎。美しい。

雪のシーン、お墓のシーン、列車の動き。目がぎょろり。スピード。

何よりやっぱり戦闘シーン。すごすぎる。

あの質、もはや日本の宝だと思う。守りたい。

煉獄さんの戦闘シーンの静と動がしびれた。

最後に戦闘のあった場所が空の上から真下に見下ろすアングルのカットが入るんだけど、煉獄さんと猗窩座の戦った跡が地面にくっきり刻まれていて、当然の状態ではあるんだけどうおおおおおおこんななるのか!ってなった。

最初映画化の話を聞いたときは嬉しさと同時に地上波やないんかい映画化かーいって思っていたけれど、みんなが言っているように、あれは映画にすべき作品でしたすみませんでした。あんな素晴らしいシーン、テレビで流したら勿体ない。おみそれいたしました。

 

 

 

■気になるところ

 

1番気掛かりなのは、炭治郎の鬼に対する意識の変化。

これまでの闘いでは、鬼は人間が何らかの理由で鬼舞辻無惨につけこまれ鬼になったという形がほとんどだった。だから炭治郎は鬼が殺されて消えていくときに、手を握り、慈愛を持って滅していたわけだけども。

だけど今回は最初から魘夢に大切な自分の家族を無下に扱われて(侮辱されて)、さらに列車の人間を人質に取る残酷な闘いを挑まれて、鬼に敵意しかない戦い方をしていたと思う。

煉獄さんを殺した猗窩座に対しての罵声も同様(見てるわたしもスッキリはしたけど)。

 

これが、炭治郎の今後の人格に影響するのか?というところが個人的に気になっている。

鬼はただ倒すもの、卑怯な存在。全鬼を一緒くたに位置づけるようになってしまったら、あの頃の鬼に最後まで心から向き合う炭治郎がいなくなったようで寂しいと感じてしまう自分がいる。

 

 

そして次に、炭治郎の無意識の世界にいた化身たちはやはり家族なのか?6ついたし家族のような気がする。無意識の中にも家族。意識の中にも家族。夢にも家族。愛は強い。

ところで、魘夢の夢から醒める術を父親が雪山の中で遠回しに導くシーンがあったけれど、あれは魘夢の夢の中であるのに、父親が炭治郎を救う言動をする謎。もし夢の中の存在ならば助けるための助言はしないと思うのだけど。あのシーンは「何か」があったのではと思うが、単純に炭治郎を救いにきた存在って位置づけだけで受け止めてよいのかな。

 

 

最後に、煉獄さんの夢の中が「幸せ」に感じなかった件。魘夢曰く「最初は幸せな夢を見させてあとから苦しい夢を見させて殺す」というルールだったわけだけど、煉獄さんの夢が最初からそんなに幸せそうでなかったのは、はたしてこれより酷い現実があったからなのか、それとも術にかかりきっていなかっただけなのか。続きでそのあたりが分かるものなのだろうか。

 

 

 

■キャスト・スタッフ

 

花江夏樹さんの竈門炭治郎の言葉には何度も胸が潰れました。苦しかったです。哀しかったです。悔しかったです。幸せになってほしいです。

日野聡さんの煉獄杏寿郎には、しびれました。芯の通った太くてかっこいい煉獄さんがそこにいました。すごかったです。

平川大輔さんの魘夢は厭らしくて気持ち悪くて悦の感じられる鬼でした。あの人をこんなゾッとする鬼にしたのは平川さんのお声あってだと思います。

石田彰さんの猗窩座は帰って調べるまで石田さんだと分かりませんでした。強いのに柔らかくて不思議な感覚でした。ただただ怖かった。

その他の皆さんも感動でした。下野紘さん、松岡禎丞さんなど主要キャストはもちろんのこと、江口拓也さん、千本木彩花さん、仲村宗悟さん、広瀬裕也さんなど少しの出番のキャラクターにも実力を積まれた声優の皆さんがいらっしゃったのにはアニメ時からブレないこの作品の本気度を感じました。

あ、あと櫻井孝宏さんの冨岡義勇の「………そうか」がもう。重かった。

 

スタッフの皆さんも、すばらしい作品をありがとうございます。皆さんのその技術と作品への心は、自信を持って自画自賛していただきたいです。そして、変わらぬクオリティでの続編を大いに期待しております。

 

 

 

■最後に

 

これだけの人気作品になって多方面から取り上げられるのはうれしいのだけれど、それを理由に毛嫌いする人がいなければいいなと思う。作品は本当にすばらしいので。見てほしい。取り上げられるから見てもらえるメリットがアニメ界では大きいと思うから、これからもすてきな宣伝が続いて少しでもこの作品を目にする人が増えたらいいななんて感じる今日この頃。

 

 

 

以上!だらだら感想でした!